遠くの両親(介護保険施設)、わたしの暮らし 

脳梗塞で父が倒れ介護保険施設の生活をスタート。遠方で暮らす両親とわたしの日々


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9歳から介護をした男性、介護が終わった時、彼は38歳(ヤングケアラー)

9歳から介護をした男性、介護が終わった時、彼は38歳(ヤングケアラー)

「9歳から続いた介護が終わった時、男性は38歳になっていた」ヤングケアラー関連の記事を読みました。

29年間の介護!その後も書かれた興味深い記事でした。

 

小学3年生から高齢の祖母の介護母親の世話をしていました。

その介護も、5年前の3月に終わりました。

67歳で母親が亡くなったからです。

 

気付くと自分には何も残されていないような感じがしました。

友だちも、彼女もいない。

仕事も家庭も、社会との「つながり」もありませんでした。 

カズヤさんを待ち受けていたのは「孤独」でした。 

 

 介護をしていたとき、夜中に目を覚ます母親に合わせて、夜何度も起きるのが当たり前でした。

そのせいか、介護のない生活になっても、夜に眠くなりませんでした。

 

そんなカズヤさんに転機が訪れます。

カズヤさんのことを気にかけていた近所の人を通じて、偶然にも、ヤングケアラーの当事者の会とつながることができたのです。

その会は「ふうせんの会」といいました。

 

参照リンク 初めての“修学旅行” 9歳から介護をした男性が失っていた時間 | NHK


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カズヤさんが「幼い頃から大人びいた選択肢をしてきたこと」に感心すると共に、カズヤさんが「他の子と同じように幼少時代を楽しめなかったこと」が切なくなりました。

 

最後はカズヤさんが「ふうせんの会」と出会って笑顔になって、カズヤさんを「気にかけていた近所の人」がいて本当によかったと思います。

 

もしもヤングケアラーと出会ったら、誰もが「気にかける近所の人」くらいにはなれるのではないかと思うし、些細なことしかできないと思っても、それが当人には大きな支えになることだってあるのではないか。

 

ヤングケアラーの記事ですが、大人からスタートした介護も、長年続けて終わったとき、カズヤさんのように孤独な気持になることもあるかもしれないとも思います。

 

ふうせんの会のような同じ経験をしている人とのつながりは大事かもしれないですね。