人間関係を円滑にする流儀で紹介されていた伊集院静氏の言葉
不幸の底にある者と
幸福の絶頂にある者が
隣り合わせて路上に立つことが
日常起こるものだ。
だから大人は
ハシャグナというのだ。
参照 伊集院静「大人の流儀」
これは、東日本大震災のとき、すごく感じました。
見慣れない車のナンバーに、大変な思いをして避難している人が近くにいると感じたからです。
東日本大震災から10年が経過した去年、クリニックの待合室で、
「あのときどこにいた?」
と質問している人を見かけました。
しん、とした待合室にその質問はよく聞こえました。
それ、聞いてどうするの?
と私は思いました。
もし、被災地にいて大変な経験をしていたら?
周囲にそういう人がいたら?
私は待合室で、時間つぶしに会話しようとしている男性に腹が立ったのだと思います。
同じ会話でも、時と場所が違えば不快に思わなかったかもしれません。
私もときどき、場違いな発言をしてしまうことがあり、みんなはどうやって「大人の流儀」を身に着けるのだろうと不思議に思います。
若いうちに経験してきはたはずなのに、駄目な大人になりました。
その点、父はふざけてることが多かったけれど、大事な場面ではピシッと決めるような人でした。
母が言うには、職場でそういう研修があったのよ。
確かに、昭和な時代は企業が人に投資をしてくれました。
父は東京まで研修に行くこともあって、わざわざ東京まで何を学びに行っていたのか。