母から『日々是好日』森下典子を読んでいるメールがきました。
さっそく母に電話を掛けて 『日々是好日』の詳しい感想を聞きました。
「不器用な主人公がお茶をするんだけど、地味なお話」
私は映画を見たことがありますが小説は読んでいません。
「映画ではお茶の先生が樹木希林さんでね、なんでもない言葉でも樹木希林さんが言うとそれらしく聞こえて、いい映画だったわよ」
伝えると、母も樹木希林さんが言えば、違って面白いかもしれないわね、と思い直したようでした。
後日、また母からメールがきました。
「全部読むと色々教えてくれる所がある本だとおもいました。
もう一度読み直してみます。」
母はお茶の先生に樹木希林さんを思い浮かべて、読んだと思います。
先日、『広告を通して伝えられた、樹木希林さんからのメッセージ』を見つけました。
介護に当てはまるのでは、と思う言葉がありました。
絆というものを、あまり信用しないの。
期待しすぎると、お互い苦しくなっちゃうから。
だいたい他人様から良く思われても、他人様はなんにもしてくれないし(笑)。
迷ったら、自分にとって楽なほうに、道を変えればいいんじゃないかしら。
演技をやるために役者を生きているんじゃなくて、人間をやるために生きているんです。 一部抜粋
介護において他人(親戚)から何を言われても、自分にとって楽なほうを選べばいいのではないでしょうか。
「楽なほうに」というのは怠けるという意味ではありません。
長く続けるために必要なことだと思います。
また、ちょっと美味しいおやつを食べる、そんなささやかな楽しみでもいいので自分のための時間を持つことは、しんどいときほど大事だと思います。
介護に尽くし過ぎてしまうと、生きているのがツラくなることがあると聞きます。
知人は年に1度、親の世話の段取りをつけて、大好きなアーティストのコンサートに出かけると話していました。
知人が会社の同僚の葬式を欠席したとき「コンサートには行くのにね」と陰口を叩く人もいました。
急なお葬式と、計画的なコンサートでは比べ物にならないと思いますが、陰口を叩いた人の真意はまた別の所にあるのですよね。
私の故郷では、町全体に「あの人はコンサートに行くのに、お葬式には出席しなかったんだって」と噂されてしまうので、介護をされている人は本当に大人しくつつましく生活されてる人が多いです。
気にしない人はよっぽど心臓に毛がボーボーです。
介護してる人が、もっと気軽に息抜きできる環境が整うといいなと思います。