「92歳のパリジェンヌ」という尊厳死が題材の実話を基にした映画を見ました。
尊厳死がテーマと知らずにたまたま見た映画でした。
2002年、リオネル・ジョスパン仏元首相の母親ミレイユが、92歳の誕生日に突然家族に「2ケ月後の10月17日に私は逝きます」と家族に宣言します。。。
わっ!母から突然こんなこと言われたらどうしょう!?
母はこんなことを言わないうように思うけれど、それでもときどき驚くことを言うから油断ならない。
娘で作家のノエル・シャトレが描いた小説「最後の教え」が原案となっています。
小説では母娘の詩的な会話で構成されています。
映画とまた違った印象を受けるかもしれないですね。
画像参照:92歳のパリジェンヌ
気力がなくなって、生活に不便を感じたら死にたい。
子供の負担になる前に死にたい。
「ひとりで暮らせない」と言う息子に、
「違うわ。死ぬ時が来たのよ」と答える母ミレイユ。
見ているうちに、このお母様と、
スイスの医療機関で自らの命を絶った104歳の豪科学者デイビッド・グドール氏がダブりました。
彼も生活の質が低下していたことが理由です。
オーストラリアではビクトリア州でのみ自殺ほう助が認められているそうですが、対象者は末期患者のみ。
そのためグドール氏は自殺ほう助の認められているスイスに向かったのです。
デイビッド氏は自分でしっかりと話されていて104歳には見えない!
なんと102歳にして、パースのエディス・コワン大学で名誉客員研究員として働き続ける権利を勝ち取ったというのだから驚きです。
そんな彼が「人生を続けたくない」と思うのはよっぽどのことだと思います。
そして、100歳を超えているのだからもう好きなようにさせてあげては、、、と正直思いました。。。尊厳死を肯定するつもりはないけれど、生きるのも死ぬのも大変だなあなぁと感じます。
デイビッド氏の子供が何歳かわかりませんが、とっくに高齢者と言える年齢のはず。
看取る側のことも気になります。
親より先に死ぬのは親不孝と言いますが、親がここまで長生きすると難しいですね。
画像参照:92歳のパリジェンヌ
ミレイユは92歳。
100歳まで8年。
お誕生日の垂れ幕にも、100歳まであともう少し!とあります。
子供の8年はあっという間だけど、高齢者の8年は「あともう少し」なのかな?
入院したミレイユと同室の患者さん、看護助手と一緒に「そして今は」を歌いはじめます。
そして今どう生きればいい?
これから先の長い人生を
歌詞にすごく皮肉が込められてるけど、なんだか笑ってしまう。
ミレイユの歌い方から、茶化しているとわかるから。
重くなりそうな尊厳死というテーマを、ところどころにユーモアを交えて表現しているいい映画だと思います。
結末がどうなるか見て頂きたいです。
それに年をとっても恋愛から離れられない姿に、フランス人!を感じます。
画像参照:92歳のパリジェンヌ
ミレイユの娘と息子は互いの意見が合わなくて衝突します。
「老人性うつだ!病院につれていかないと!」
「老人ホームに入れないと!」
と言うのは息子。
どちらも母のことを想ってて、その気持ちも痛いほどわかります。
登場人物がみんな優しくて、
隣の住人・ディディッドは足が不自由になってきたミレイユを抱えて階段をのぼる。
ヘルパーのザビーネは、いつも明るく優しく世話してくれる。
彼女と会話するミレイユは本当に楽しそう。
孫のマックスは、頻繁におばあちゃんの家を訪れ話を聞く。
ミレイユはそうして周囲の手を借りながら今日までひとり暮らしを続けてきたことを感じます。
そして、いくら周囲が彼女に優しくても、彼女の決心が変わらないのが泣けてくる。。。
でもひとつ気に入ったあることが。
猫のシモーヌはどうするの!?
そのことにはまったくノータッチ。
画像参照:92歳のパリジェンヌ
母と娘の関係がクローズアップされるので、娘の私にはグッときて、ところどころ一時停止して休憩をいれなければ見れませんでした。
映画を見て思ったのは、親が今より歳をとったら、いつか「死にたい」と思う日が来るかもしれない可能性が高いのでは?ということ。
思うだけならまだしも、口にするようになったら娘の私はどう向き合うべきか?
親の気持ちが軽くなるようなことをしてあげたいとは思いますね。。。
でもそう母が思う前に対策できたらいいですよね。
映画ではどうもミレイユはビクトリア(詳しい情報はでてこない)から影響を受けたみたい。
マッサージ師や占い師の影響で、おかしなことになってしまう芸能人の話も聞きますもんね。
とにかく明るい人が近くにいることが大事かも。
母に施設に入所してもらって、ひとりで考える時間が少ない方が悲観的になりにくいのではないか、とも感じます。
母は施設に入所してから明るくなったし、よく笑うようになりました。
施設の職員さんが優しいし、バランスの取れた食事を採るなど、規則正しい生活を送っているのも効果があると思います。
あと体が不自由になってヘルパーさんにお世話になっている人を目の当たりにして、母はお世話になることへの恥ずかしさや抵抗がやわらいだように見えます。
人の手を借りるのは恥ずかしいことではないと受け入れられれば、ミレイユは100歳まで生きてもいいかも、と思えたのではないかな。
先日「107歳になる自転車選手今年1月の引退表明を撤回して練習を再開」というフラン人男性のニュースがありました。
なんとも頼もしいではありませんか!
ニュースによると、自転車に乗るときには人の手を借りないと難しい、とありました。
人の手を借りてまでレースをしたくない!と思えばそこで終わりですが、人が手を貸してくれるならレースを続けたい!と思えば、誰かが助けてくれると思います。
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日本では致死量の薬物を投与するような安楽死は違法です。
自殺ほう助も違法。
延命治療をせず、痛みを緩和するための最低限の医療行為は違法でなないにしろ、明確化もされてません。
癌の終末期に行われるターミナルケアが似てるけど、基本的には治療の選択肢が無くなってしまったときのケアという感じなので、尊厳死とは異なるみたい。
法律で認められたら人の意識も変わってくるんでしょうね。
海外では、スイスは1942年から、ほう助する側が当人の死によって利益を得ない場合のみ自殺ほう助が認められています。
スイスには世界で唯一、外国人にも自殺ほう助を提供する施設があります。
オランダとベルギー、ルクセンブルクでは自殺ほう助と安楽死が認められています。
うちオランダとベルギーでは、未成年の安楽死は特別な場合に限られます。
コロンビアは安楽死を認めています。
米国ではオレゴン州、ワシントン州、バーモント州、モンタナ州、カリフォルニア州、コロラド州、ハワイ州で、末期患者への自殺ほう助が認められています。
首都ワシントンDCでは2017年、同市在住者に同様の権利を認める法律が施行されました。
カナダのケベック州でも2016年、安楽死と自殺ほう助が認められました。
医療の発達に伴い変わってきているのでしょうね。