私の両親(70代)は戦争をギリギリ経験してない世代。
そのため戦争について語ってもらえることは無いですが、
戦争の影響を受けた世代で、ひもじい幼少期だったと聞きます。
小説家、社会学者、京都大学大学院文学研究科教授の岸政彦氏の新刊『沖縄の生活史』が話題になっていて、語り手たちが経験した「沖縄の戦後」計100篇あります。
2022年5月に、日本復帰50年を迎えた沖縄。
これを節目として、沖縄の歴史とともに生きてきた人々の来し方を聞き取って文章に残そう、という沖縄タイムス社の企画が結実したのが本書である。
目次の一部を紹介すると、
あの時の東京はね、お店の正面に「沖縄者お断り」って書いてあったんだよ。
野蛮人と言ってから
聞き手=安里優子(五七) 語り手=母・池原春子(八四)
あぁ、これ知ってる。
いまだに影響がありますね。
爆弾の破片とか、買いに来る業者がいたわけ。
家にね。
そこの業者さんに売ったりしてた。
小遣い稼ぎ。
一キロ売ったらいくらだよということで
聞き手=安谷屋佑磨(二九) 語り手=父(六二)
62歳ってことは、第二次世界大戦はとうに終結した後に生まれた方でも、戦争の影響が生活にあったとわかります。
破片を拾うって、今だったら考えられない。
本土に来てから、青森や鹿児島とか難しそうな方言を使ってるのに、何で沖縄だけ禁止になったわけってすごく腹が立ったね
聞き手=川野香織(五〇) 語り手=母・畑山シズ(七四)
五年生くらいの時に方言を使わなかった子で、表彰されたわけ。
下地君は学校で方言を使いませんでした、とか言ってさ
聞き手=下地レオ(三二) 語り手=父(五八)
でも僕も若くて、「日本語上手ですね」って言われて「あなたより上手かもしれませんね」なんて言って(笑)
聞き手=仲程玲(四〇) 語り手=伯父・江川義久(七七)
着いて、第一声が教授に呼ばれて、「日本語話せるね?」って
聞き手=比嘉あんの(一六) 語り手=祖母・高良敏子(八四)
例えば僕はよ、箸のつかみ方。
八重山でも普通にごはん食べてるさ。
日本ではどんなして使うのかなぁとか思ったりよ。
一緒なのかな、違うのかな、と思ったりしてよ
聞き手=綿貫円(三三) 語り手=石堂徳一(七三)
マジに信じてたのは復帰するってのは、本土に沖縄の島がくっつくことだと思ってたわけね。
そのまんま九州の鹿児島にくっつく、これが復帰だと思ってたわけ
聞き手=兼島拓也(三三) 語り手=父(六〇代)
目次だけでも、どんな感じの内容か伺えます。
社会学に疎いんですが、こういうカタチも社会学なのだと知りました。
沖縄のアイデンティティに触れられる1冊だと思います。
『 東京の生活史』もあって、東京に興味がある人におすすめ。