母に、どうぶつのかたち練習帖をすすめてみました。
簡単に描けそうだし、イラストも可愛い。
お手紙にちょこっとイラストを添えられたら素敵じゃない?
それに脳を老化させないためでもあります。
母はすぐに食いついて、せっせと練習してくれました。
柴犬を描いてもらったのですが、
「簡単だと思ったのに、描いてみると痩せてたり、太ったり、なーんか違う」
どこを直したらいいのかわからないようです。
「犬には見えるけど、お手本とはなーんか違う」
けれども、これで『描く楽しみ』を発見したようで、
「柴犬はあきらめて、新聞に掲載されてた紫のドレスの婦人を描いてるの」
え!?
「今、国立新美術館でやってるブダペスト国立西洋美術館の展示の絵なんだけどね。あれなら描けそうと思って」
えー!簡単な柴犬を描けないのに、巨匠の絵は描けると言うの!?
私が突っ込むと、
「私って図々しいところがあるのよねぇ。
でも、模写ってわけじゃなくて、自己流にアレンジしてるの。
上半身しか描いてないし」
多分、母の「描ける」の意味は、自分が満足いくように描ける、という意味なのだと思います。
こんな母と長年働いて来た同僚はどう思ってたのか、ときどき考えます。
母は職場で「不思議ちゃん」ではなかったかしら。
「私ってねぇ、絵を描くのが好きだったのよ」
聞いたこと無いし、見たことも無いんですけど、いつの話?
「今日は3時間も描いちゃった。描き始めて今日で3日目」
えー!そんなに描いてるなんて。
なかなかの大作なんじゃない?
「せっかくだから今度、お手紙に柴犬のイラストを描いてみてよ。上手でなくてもいいから」
リクエストしてみると、そうねぇ、と言いつつまんざらでもない返事。
「紫のドレスの婦人をコピーして送ってあげるわ。見たいでしょ?」
原本は手元に置いておきたいほど傑作が描けてるようです。
何か続けられる趣味ができたらいいなと思ってすすめてみたのですが、飽き性なので長くは続かないとは思います。
紫のドレスの婦人を描き終えたらひと段落しそうな予感がします。
次はどんなことで脳を刺激しようか。
母が食いつきそうなネタを探しています。