遠くの両親(介護保険施設)、わたしの暮らし 

脳梗塞で父が倒れ介護保険施設の生活をスタート。遠方で暮らす両親とわたしの日々


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夫婦で登山家のドキュメンタリー映画 『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界』、世界的伝説クライマー

 

 

映画 『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界』で、

山野井泰史さんの奥様・妙子さんも有名な登山家と聞き、

夫婦で登山家のドキュメンタリーに興味を持ちました。

 

 

さっそく予告を見てびっくり。

指が無くてもみかんを器用に食べてらっしゃる。

妙子さんは凍傷で指を無くされているのです。

手を見ればその人がわかる、と聞きますが、なんとも言い難いのですが、それが登山家の手なのだな、圧倒されというのが近い気がします。

 

映画 『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 』予告 いい夫婦編

 

 

まだネットで映画配信されていなかったので、山野井夫妻のインタビュー記事を読んでみました。

 

山野井の妻・妙子も日本を代表するクライマーである。

ヒマラヤでは、マカルー(8643m)に一般ルートから登頂後、8千メートル以上で2晩もビバークを強いられ、手足の指18本を凍傷で失ったが、その後も8千メートル峰2座の登頂に成功している。

山野井がマカルー西壁に挑戦した後、1996年に入籍し、2人は正式に夫婦となった。 

参照リンク 「天国に一番近い男」と言われた登山家・山野井泰史 “ヒマラヤ最難”の巨壁との闘い【ドキュメンタリー解放区】 | TBS NEWS DIG (4ページ)


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妙子さんは手足の指18本を凍傷で失った後で、

8千メートル峰2座の登頂に成功しています。

すごい。

片麻痺でうまく動けない父のことを想いました。

状況はまったく異なるんですが、「本人のやる気」の大切さを感じます。

 

山野井泰史さんは1965年生まれ、

山野井妙子さんは1956年生まれ。

いろんな夫婦がいるものだなと思います。

おふたりは恐らく結婚という形式にこだわっていなかったと思うのですが、凍傷を負う大けがをして、夫婦でないと不便なことがあるって感じたのでは無いでしょうか。

阿川佐和子さんの入籍報道があったとき、インタビューで入院などのときに家族でないと不便があるので、という話をされていましたし。

 

山野井泰史さんも凍傷で手足の指を失っています。

 

失ったものは、岩に登る感覚なのかもしれない。

凍傷で両手の指を5本切断したことによって、それまで親指を除く4本の指で岩をつかみ登っていた行為が、残された2本、3本の指を岩にひっかけて登るようになった。

それは、まったく違う行為なんです。

4本でつかむから気持ちがいい。

岩をつかんだ指から腕へと伝達していく感覚が、2本でひっかけると、失われる。

登攀グレードでもなんでもなく、この感覚を失ったのが残念でした。こうなってみて初めてわかったけれど、もう仕方がないことです。 

――リハビリを重ねて2004年にポタラ峰へ向かいます。

登れず敗退したとき、一緒に荷下げをしましたね。登れない自分へ怒りをぶつけ、言葉を荒げ怒鳴り叫びながら山を下っていました。

あんなに感情をあらわにするのを初めてみたし、こと山のなかでは山野井さんはいつも冷静なので、印象に残っています。 

参照リンク 山野井泰史:山に「発狂」し続けている | YAMA HACK[ヤマハック]

 

リハビリしてまた登る。

しかもポタラ峰を調べたら、すごい岩壁。

 

満を持して2005年7月にポタラ北壁に再挑戦。時折り冷たい雨が降る悪条件のなか、7日間をかけて初登攀に成功します。

山野井さんはこのルートを「加油(中国語でジャイオ=頑張れの意味)」と名付けました。 

参照リンク ピオレドール生涯功労賞受賞者・山野井泰史の軌跡を振り返る 〜ダイジェスト〜 YAMAYA - ヤマケイオンライン / 山と渓谷社

 

そして悔しさをバネにがんばって、翌年に成功するってすごい。

 

2021年11月27日、山野井泰史さんは「クライミング界のアカデミー賞」とも称されるピオレドール(金のピッケル)賞の生涯功労賞を受賞されました。

13人目の栄誉で、つまり世界的伝説になりました。

クライマーは危険も伴うのでいろいろ意見はありますが、日本人がそのような賞を獲ったことを素晴らしく思います。

映画を見てみたいです。