絵本『スーホーの白い馬』が懐かしい。
『静岡市美術館開館10周年記念 生誕110年・没後30年
絵本画家・赤羽末吉展 「スーホの白い馬」はこうして生まれた 』
の展示が10月3日からはじまったことを知りました。
関連リンク 「絵本画家・赤羽末吉展」|静岡市美術館
赤羽末吉氏は50歳の時に絵本画家としてデビューしたのだそうです。
赤羽末吉氏の『かさじぞう』も有名です。
赤羽末吉氏は80歳で亡くなるまでの30年間に約80冊の絵本を手がけています。
なんて素敵な老後!
絵本作家になった経緯↓を読むと、何か使命感のような志をもって、絵本作りにのぞまれてたのかなと感じました。
22歳で満洲(中国東北部)へ渡ると、仕事の傍ら土俗人形の蒐集や影絵人形芝居を研究し、日本画家としても活躍。
同時に満洲画壇における気鋭の論客でもありました。
1943年、取材旅行で訪れた内蒙古(現・内モンゴル自治区)の壮大な風景に感動した赤羽は、そこで目にしたものを大量の写真やスケッチに収め、引揚げ時に命がけで持ち帰ります。
これらの資料をもとに描かれた『スーホの白い馬』は、出版から半世紀がたった今なお日本中の子どもたちに読み継がれています。
その後も満洲時代に培った経験をもとに、日本やモンゴル、中国の少数民族の民話を数多く手がけ、80歳で亡くなるまでの間に約80冊もの絵本を発表しました。 参考 「絵本画家・赤羽末吉展」|静岡市美術館
さらっと、”引揚げ時に命がけで持ち帰ります。”と書いてありますが、
満州からの引揚げは壮絶だったと聞きます。
荷物を手放さずにいられない過酷な中、持ち帰ったのは相当なことです。
生涯について、赤羽末吉氏の三男・研三さんと結婚された赤羽茂乃さんが『絵本画家 赤羽末吉 スーホの草原にかける虹』を最近出版されました。
冒頭を読んでみたのですが、結婚の挨拶に伺うと、
「柳田國男や折口信夫については詳しいの?鬼について勉強したことはある?」
と質問しはじめたそうだから、本当に絵本に情熱を注いでらしたのだなと思いました。
しかし、夫に出会うまで著者は「スーホの白い馬」を知らなかったというのです!
えー!
こんなに有名な絵本なのに~!?
「スーホの白い馬」は図書館に必ず置いてあるような絵本です。
しかし、赤羽さんの生まれが1952年と知って納得。
1980年、義父、赤羽末吉は、日本初の国際アンデルセン賞画家賞を受賞した。
赤羽末吉とその作品について全く知らなかった私が、義父に出会ったのは1979年、その前年のことである。
参考 今月の新刊エッセイ|赤羽茂乃さん『絵本画家 赤羽末吉―スーホの草原にかける虹―』|ふくふく本棚|福音館書店公式Webマガジン
赤羽茂乃さんが語る赤羽末吉さんは、堅苦しい伝記とは違い、とても温かみがあって面白いです。
そして興味深かったのは、原画と資料の寄贈について。
分類、リストアップに時間がかかり、寄贈できたのは死後8年後!
読むだけで途方に暮れる年月です。
ということは、今回の静岡市美術館での展示の背景には、このような作業を経てきたからこそできるってことよね?
はー、すごい。
80冊も絵本を出版されていますものね。
その量は膨大だったようです。
ところで、30年で80冊を割ってみたら、1年あたり2.6冊を出版!
なんてハイペース。
やはり素敵な老後だと感じました。
赤羽末吉さんのようにパワフルでありたいものです。
母に話したら、
「映画監督の小津安二郎って知ってる?
番組をやってたんだけど、あの方も戦争を経験していて中国へ渡っているのよ。
やっぱり戦争を経験してらっしゃる方は良い作品をつくるのね」
母から聞いて小津安二郎を調べてみると、戦争中、交流のあった新進気鋭の山中貞雄監督(28歳)と南京で再会しましたが、半年後にお亡くなりになったとありました。