【気になる母のメンタル】母と仲良くしてくださっていたSさんが亡くなる。
母と仲良くしてくださっていたSさんが亡くなりました。
「調子が悪い、、、」
と言い出してから、日に日に体調が悪くなっていきました。
「病院で診てもらいなさいよ!」
母はSさんを心配して何度も言いました。
けれどSさんは病院が嫌いらしく、なかなか行きません。
そして数日後、とうとうSさんは病院に行くことにまりました。
その日の夕食にSさんが現れません。
付き添いをした息子さんとご飯でも食べてるのかしら、、、。
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翌日。
朝になってもSさん見当たらいので職員さんに質問すると「入院しました」
そして数週間の入院の後、Sさんの訃報を聞きました。
「まさか亡くなるなんて!また会話できると思ってたのに。」
母は悲しさのあまり、半分怒っていました。
母は人づきあいが苦手で、Sさんと仲良くなったのは奇跡でした。
母が落ち込むのもわかりますが、メンタルが気になります。
高齢者はちょっとしたことがきっかけで、うつ病になることがあると聞いたからです。
(ここで一緒にしんみりしたらマズいかも、、、)
私はそう思ったので、
「ギリギリまで好きなものを食べて、Sさんの願いどうりに逝ったからよかったじゃない!?」
母はSさんに「部屋での間食を止めたほうがいい」と言ったことがありました。
(自分のことを棚に上げて注意してる!)と私が驚いたのは言うまでもありません(;^ω^)
そしたらSさんは「もう歳だし、どうせ死ぬなら好きなものを食べて死にたい」と言ったことがあったのです。
確かにSさんは母よりも随分年上で、いつお迎えが来てもおかしくない年齢でした。
母は最初のうちは落ち込んでましたが、「Sさんはピンピンコロリも同然よ」と言うと「そうね。そうかもしれない」と少し元気になりました。
「ピンピンコロリ」とは、「病気に苦しむことなく、元気に長生きし、 最後は寝つかずにコロリと死ぬこと」。
『課長島耕作』シリーズで知られる、生涯現役を目指す1947年生まれの弘兼憲史氏が「ピンピンコロリ」の生き方を提案します。
しばらくして施設で大規模な水漏れが起きました。
大騒ぎになって、朝から職員さんがバタバタ走り回りました。
幸い母には害はありませんでしたが、水が流れ込んだ部屋もあったようです。
私はハッ!とひらめいて、
「Sさんが施設にきたのかもよ!だって四十九日くらいじゃない?」
母はSさんのことで、まだ落ち込んでいましたが、
「Sさんならやりかねないかもしれないわね」
と笑いました。
お盆に母が、
「風呂場にトカゲが出たのよ。すぐにいなくなったけど」
「それはきっとSさんよ。お盆だから帰ってきて、お母さんを驚かせにきたのよ!」
と私が言うと、母は、そうかもしれない、と笑いました。
「でも、衛生面で問題がでると困るから、施設長さんに風呂場でトカゲを見かけた話はしておいてね」とお願いしました。
せっかく仲良くなったSさんが亡くなったのはとても残念でしたが、母に変わった様子は見られず安心しました。
この頃は、なるべくこまめに電話して、短時間でも会話するようにしていました。
母は他の入所者さんや職員さんと会話はしていましたが、本音を話せる人はいないからです。
母は、数日ほど具合を悪そうにしている入所者さんを見て、
「病院に行けばいいのに」
と言いました。
Sさんが亡くなってから何度も言うようになりました。
「病院は治すところだからね。もう治らないから行かないのかもよ?診てもらいに行ったら入院して戻って来れなくなるかもしれないし。」
「あっ、そうか」
母はそれからあまり言わなくなりました。